お知らせ!2004年4月より 松本昇子さんの『インテリアコーディネーター講座』を開講
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―資格取得〜プロの仕事とは? インテリアでプロになりたい人に!―
4月新規開講!インテリアコーディネーター受験対策講座
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インテリアコーディネーター 松本昇子さん
今、なりたい職業ベストテンには必ずランクインする「インテリアコーディネーター」 現在、京都で「INTERIOR COORDINATOR ZaZa」を主宰し、活躍されている インテリアコーディネーター・松本昇子さんによる関西弁バリバリ(*^o^*)のコラムがスタート!
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なりゆき・思いつきで始めたフリーランスのインテリアコーディネーター 〜8〜
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前会社の教室での生徒さんの一人が連絡してきました。
そうPart4で予告してた人です。
彼女は教室を卒業して、建築関係の会社に就職したと。
その会社も新しくコーディネーターを使った営業をしたいと。
その彼女は教室で勉強しただけでキャリアがありません。
どんなインテリア関連の会社と取引をして仕事をしていけばいいのか。
単純に見本帳はどうしたら手に入る?
と彼女にとって初めてのことばかりでした。
何がなんだかわからない彼女に、私の出来る範囲でバックアップしましたよ。
そう店の名前を考える所から取引先の紹介、仕事の営業方法、計算の仕方、全てです。
その様子を知ってそんなバックアップを感じ取った人がいました...。
そう、その彼女の会社の社長です。
ある日、彼女から社長が会いたいと言っているので、時間を作ってくれないか?
と連絡がありました。
一応、内容を聞いてみるとビックリ!
「うちの会社に来てくれへんか?」でした。
へぇ〜私が引き抜かれる対象になっている!
そんなことが...。
彼女の話には興味はありましたが、ちょっとだけふ〜んと考えて、断りました。
なぜなら、その会社は、私の地元の会社ではないこと。
隣の県でしたが、以前その地方で仕事をしたときに、学んだことがあります。
営業方法が全然違う。
京都でやってきたように営業しても上手くいかないことは判っていました。
同じように売上をあげていくには、今までの私のスタイルでは無理だろう、と予測がつきます。
しかしそんな話を断ってても、彼女の応援はしておりましたよ。
いよいよ、彼女の店がオープンするという頃に、またまた1本の電話がありました...。
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なりゆき・思いつきで始めたフリーランスのインテリアコーディネーター 〜7〜
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消費者に直接インテリア商品を販売するショップをオープンする準備中でした。
面接に行くとインテリアコーディネーターというより
女性店員募集みたいなもので、カーテンを販売する時にアドバイスできるコーディネーターが欲しいようでした。
またもや非常に安い給料!
私のキャリアを聞いて、社長は「僕の方が教えてもらわなあかん。」と言いながら、来てもらえると思って話をされました。
この時、私はこの会社に入社したいとは思いませんでしたが...。
給料は激安!
またも貧乏暮らし。
そこで、考えました。
これではあかん!
私が、この会社で営業の為、外出する間の店番のアルバイトを雇う用意があったようなので、"そのアルバイトをやめて下さい。
私が2人分働きますから、その分給料を下さい!"と言ったら...?。
その会社の社長はビックリされたようでした。
とりあえず3ヶ月働いてみて様子を見てくれへんか。
その後、給料を上げるし...。
ホンマかいな?
と思いながらその会社に就職しちゃいました。
天下の大阪ガスを断って...。
店をオープンしてからは、顧客作りに必死です。
イベントを考えたり、広告の効果、さらにローラー営業、全て前の会社でこなしてきた事だから難無く乗り切りました。
さらに前の会社には無かったこともあります。
お客様を店に呼ぶディスプレイや地元のお客様に密着する店舗展開。
仕事の範囲はさらに広がりました。
店の方は完全に任されていましたから、本当にやりたいことができました。
リフォーム工事のほうもどんどん増えて、当然売上も倍々と増えていきました。景気が良かったのも後押ししてくれたと思います。
この会社で自由に仕事をさせてもらって2年目のある日。
1本の電話が...。
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なりゆき・思いつきで始めたフリーランスのインテリアコーディネーター 〜6〜
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「松本さんに会社を辞めてもらおうと思う」
「へぇ〜?そういうことかぁ。」「それやったら、さっさと辞めたるわ!」
即日退社!
その会議中、みんなが黙っているのに一人だけ
「松っちゃんは悪ないんちゃいますかぁ」と言って私をかばってくれた人がありました。
嬉しかったです。
この人のことは一生忘れませんよ。
本当に心の温かい人とはここ一番という時に助けてくれます。
心の中が救われた気がしました。
私の古い友人は「また、あんたのワガママで辞めたんやろ〜」と言いました。
当たってる〜。
そして、あくる日から職安へ。
さぁ〜職安へ行った所で、「インテリアコーディネーター」という求人欄はありません。
窓口のおっちゃんでも「なにそれ?」ですから。
そうそうと諦めて本屋へ。
当時流行っていた<とらば〜ゆ>を買っていろんな職業を見てると、唯一「インテリアコーディネーター募集!!」の広告を発見。
天下の大阪ガスです。
その頃、大阪ガスではリフォーム事業に力を入れようとして、人材を集めている所でした。
「即、来て下さい。」「あなたのキャリアが必要です。」などと言われ、給料も大幅アップ!しかし、頭をよぎる「大企業という不安」
普通、大企業なら安心と考えるのでしょうが、この頃の私は"仕事は自分の思うようにしたい。"でした。
前会社で自由にさせてもらった分、さらにワガママがパワーアップしてました。
大阪ガスに返事をする前に、コンビニで地方版の求人募集の雑誌を見てたら、
あれ?
「インテリアコーディネーター募集」がありました。
京都の会社で募集があるのは珍しいので念のために受けてみようと面接へ。
社長を含めて3人の会社。しかも、その内の1人が今月退社予定。
その会社も内装工事の小さな会社でした。
内容を聞いてビックリ!
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なりゆき・思いつきで始めたフリーランスのインテリアコーディネーター 〜5〜
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そうして教室の生徒さんとは時々会ったり、宴会をしたりして卒業されてからも付き合いは続いてましたよ。
仕事とは関係なく仲間が増えた!という感じでした。
毎日毎日そりゃもう夢中でいろんな仕事をして1年。
ある時、気が付きました。
"この仕事はオモロい!一人で最初から最後まで仕事をしていける!"
これが思いつきでした。
この頃の私の仕事は、お客様も任せて頂いてましたし、センス無いと言われたあの社長からも「プレゼンテーションボードは松本さんには負けるわ〜」とまで言ってもらってました。
リフォーム担当第1号のお客様は、私にとって本当に素晴らしい方でした。
本来なら新米コーディネーターに不安を感じるところなのに、それどころか、こちらが励まされて...。
「新しい感覚でアドバイスしてくれたらいい!」なんて、とても温かい言葉でした。
お名前も"温子さん"
私にとってず〜っと一生のお付き合いになります。
会社は革新的なところで自分の給料は自分で決める年棒制でした。
全体会議で来年の給料を自己申告「○○百万円!」と宣言すると、コンピューター計算されて、年棒に見合った売上目標がはじき出されます。
それがノルマとなるのです。
達成すれば来期はUP!出来なければDOWN!の宣言になります。
そのため売上管理は自分でします。
そのおかげで、自分がどれくらいの利益を生む仕事をしているのかが、しっかり把握できます。
こういう仕事の仕方が、独立できるように基礎を作ってくれました。
そして、目いっぱい働いていた会社で2年も経つといろいろ問題も出てきました...。
簡単に言うと私の仕事の範囲が広すぎて、へんねしを起こす人もありました。
ある日、営業会議で社長が一言...。
(注)へんねし:京都弁で「すねる」「ひがみ根性」「ねたみ」の意味
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なりゆき・思いつきで始めたフリーランスのインテリアコーディネーター 〜4〜
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どうしよう...?と悩んだのは一瞬でした。
これが、今思えばインテリアコーディネーターへの第1歩かもしれません。
ただ、当時は一生の仕事という意識はなく、就職という 2文字についただけでした。で、仕事に就いてみて・・・
初めてコーディネートプランを作った時に、とことこと社長がやって来て「なんやこのセンスないプランは!」と一言。「これもこれも選びなおし!」と選んだサンプルは捨てられてしまいました。"くっそ〜!"もともとインテリアにも興味ないし、センスもないねん。 ほとんど意地でやりました。後で分かりましたが、「センスよく!」が、この社長の口癖でした。のちにセンスというのは、磨かれて良くなるものだとわかりましたが。
新しい部署ということもあって、毎日毎日新しい仕事が待ってました。
ですから飽き性の私には楽しく仕事ができました。
例えば、建築部営業マンがリフォームの見積もりを手書きでしたものを「ワープロに打ち直して〜」と持ってきます。また、インテリア部の営業マンは壁に貼られていたと思われるビニルクロスの端切れを持ってきて「この品番調べて〜」社長は「次の広告プラン考えてや〜」
他にもまだまだ、イベント企画や在庫管理、テレアポやローラー営業、現場同行とコーディネート以外にもあらゆる仕事が回ってきました。
定時で終わる仕事ではない!もちろんその中にありますよ。
私が受講していたインテリア教室のお手伝い。生徒さんとのコミュニケーション役。火水木曜日は授業日で終わってから、生徒さんの送り出しをすると退社するのは夜9時。
当然のように12時間労働。残業手当なし。そして教室の生徒さんと親しくなって相談にのることも...。
この中の1人が数年後、あるきっかけをもたらすことになるとは...。
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なりゆき・思いつきで始めたフリーランスのインテリアコーディネーター 〜3〜
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「私とこも(会社も)こういう教室やってんねん。うちは1年間のコースやけど。」
何?こういう教室が他にもあるのか。
でも、すでにフリーター生活も2年経ってるし、あと1年も遊ぶのはどうかなぁ。と悩みました。
それでも今、何かできるわけでもないし、就職活動始めるには不安もあるし、放送局のADも今のうち、若い時だけの仕事だろうと考えると"もうちょっと勉強してみよかぁ。"って気になりました。
で、さらに1年間の勉強とアルバイトの掛け持ち生活は続き、もっとハードな年を過ごしました。
この生活も1年経つといよいよ卒業。就職活動です。
この教室は求人があれば斡旋してくれるという事だったので、お願いしておきました。
すると本当に一度、面接があると連絡をして戴いていたのですが、たまたまその時、おなかを壊して実家で寝てました。
連絡の行き違いから就職を斡旋してもらえなかったのですが、「一度元気になったら、教室に来て下さい。」と言われて教室に行くと、その教室を開催してる会社の社長から「うちで働いてみいひんか。」と声をかけられました。
その会社は、内装工事の仕事をしている会社でしたが、ちょうどその頃、増改築の営業マンがその会社に入社されて、インテリア部と建築部と2つの部署ができたとこでした。
そこに、私が入社すると、コーディネート部ができるのでやってみいひんか。ということでした。
でもとっても安い給料で...。
これ以上、遊んでられへんし、生活はしなあかんし、安月給やしどうしよう...。
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なりゆき・思いつきで始めたフリーランスのインテリアコーディネーター 〜2〜
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インテリアコーディネーター町田ひろ子さんの講演会。
"なにそれ?"
まだまだ、インテリアコーディネーターという職業が知られていない時でした。
葉書を出せば抽選で聴きにいける。
"これだ!"と思ったのではなく、"ふ〜ん、こんな仕事もあるのかぁ。
一応インテリアの仕事をした事あるし、聞いてみよか...。
抽選に当たったら聴いたらええし。"という感じでした。
聴き終わった感想?あまり覚えてへんけど、
海外生活をしていた人だからこういう仕事が必要と感じられたんだなぁ。
という程度で、当時の私は海外旅行にも行けるという感覚がありませんでした。
《貧乏してたんですね》
ただ、その時カルチャースクール的に3ヶ月だけインテリアコーディネーター教室が開催されると聞きまして、ちょっと勉強してみようかな。と思ってしまいました。
(これが思いつきかな?)
教室に行くと「私はこの仕事をするぞ!」という思いの人々が集まってました。
それに刺激を受けた形で同じように勉強を始めました。
意外と私の知ってるインテリアレベルでも付いていけたのでした。
3ヶ月が終わり、教室も終わりという頃、
生徒達から次に専攻科を作って欲しいと要望が出てそれが実現しました。
じゃ、続きに勉強しよか。で始めた専攻科。
この時期、2つのアルバイトと宿題の掛け持ちでハードな生活でした。
これも無事終了。
最後の授業日、
みんなで卒業パーティをやろうと盛り上がって、お祭り好きの私は当然参加。
この時、たまたま後ろの席に座っていた人が声を掛けてきました。
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なりゆき・思いつきで始めたフリーランスのインテリアコーディネーター 〜1〜
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美術学校を卒業して就職した会社は、地元では大手一流企業で有名な会社でした。 そりゃ親・親戚など知り合いは「いい所に就職したねぇ」と言われました。 その中で私の仕事はインテリアテキスタイルデザイナーでした。 子供の頃からインテリアには全く興味が無く、なんで私がインテリアの担当なん? デザインすることは好きだけど、全然わからへん。 それでもインテリアの中でカーテンや、壁装、椅子張り地などのデザインをしてました。 今思えば、この基礎知識が現在に役立ってるようです。
デザイナーといっても企業の中でのデザイナーですから、やはり制約もありますし、ナント言っても私の性格からして自由にデザインしたいやん。 当時、私がデザインした中で、決定しそうでボツになったものがあります。 それは、花火を題材に抽象的にデザインしたものでした。 その頃といえば赤い色のカーテンはタブーで、まして花火が題材なんてダメダメ。燃えるイメージがするからです。 そんなふうにいろんな事に反発があってあっさり4年でやめてしまいました。 当時は転職することはあまりいいイメージではありませんから、反対する人がほとんどでした。
さて、会社は辞めてみたものの、別に目的があったわけではないので1ヶ月はボ〜っとしてました。 でもなぜか、1ヶ月もボ〜っとしてると働きたいという欲望が出てきました。
それからアルバイトの日々です。 なんせ貧乏な一人暮らし。食べていかねばならん。いろいろ経験しましたよ。 テレアポ営業や大学の食堂のおばちゃん。着物着て仲居さん。 その中でも刺激的だったのは、放送局のADでしたね。 そんなアルバイトの掛け持ち生活に明け暮れて1年。 そんな時見つけた新聞広告。
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